スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

授業は面白い

今日は大学の授業に関して感じていることを少し。
今の時点での感想としては、高校よりはずっと面白いです。

高校までの授業では、先生の口調は大体断定でした。
「これはこうなんだ。あれはああなんだ。」
決まった答えを教える。それが基本。

大学では一味も二味も変わって
教授も答えがわからないような、あるいは答えが無いような問題に関し
学生それぞれが、自分で考えていく。

僕は鋭い考え方をするのは得意ではないですし
ずっと答えのないものを考えていると疲れも感じます。
ただ、考えた末、未熟ながらも「自分ならでは!」という考えが浮かんだ時は嬉しいし
やはり、ワクワクする面も大きいですね。

僕が面白いなぁと思っている授業は、
教育学、教育原理、教職論、社会学、社会の構造
かな。


やはり教育について学びたくて教育学部に居ますから
教育関係の授業はとても興味をそそられます。
まあこれに関しては頻繁にこれから書いていくと思います。


社会学の授業は独特です。
ひたすら「当たり前」を疑う、という内容。

まず初回の、そもそも社会学とは何なのかという説明の時点で感銘を受けました。

人間の行動を縛っているのは何だろうか。例えば「法律」あるいは「契約」
「法律」については法学で、「契約」については経済学で学べる。
ただ、それだけではこの社会は理解できない。
なぜなら、「法律」「契約」以上に私たちの行動を縛っているモノがあるから。
それは「慣習」

慣習とは、われわれが「当たり前」だと感じ、疑おうともしないこと。
なぜお盆になると帰省するのか。そのような法律はないのに。
なぜ父親が育休を取ろうとすると白い目で見られるのか。法律的には取れるのに。

この「慣習」について研究し、
普段われわれが疑わないことに関して疑ってみようとする。
それが社会学だ、とおっしゃっていました。
いや~、これは納得させられましたね。


あと社会の構造という授業ですが、これは都市構造学?
都市とは何か、都市はどうやってできたのか、というお話。特にイスラーム都市について。
ゲームに登場する色んな都市のデータとか漁るのが好きだった自分は
興味をそそられます^^なんか間違ってますが^^

これに関してもじきブログに書くかもしれません。


そんな感じですねー。あとまあスペイン語も、
真新しいことを勉強してる!という感じがして楽しいですかね。

英語はちょっと辛いですね^^なぜだかやる気が出ない。
いや、普通に、読めるようになりたいし、話せるようになりたいとは思ってるんですけどね。

地学も辛いー。理系はダメ。でもなんか二つ理系を取らなければならなかったし
数学は絶対に絶対に絶対に避けたかったので・・・まあ頑張ろう。

あーなんか締まらないですが、今日はこれで^^
スポンサーサイト

大学は自由だ!

お久しぶりでございます。
ついにネットが開通しました。

いやー、携帯からブログ書くのは向いてませんわ自分w
今読み返しても、いつも以上にひどい文ですし(後日推敲しようと思いますw
何より携帯で文章を書いているとイライラしてしまうんですよ・・・

さて、では今日から更新を再開します!
出来るだけ頻繁に書いていきたいなぁ。
ブログって、後から自分で読み返すと本当に楽しいからねw

さて、大学に入って1か月が経ちました。
最初のうちはかなり不安でしたが、さすがに慣れてきましたね。
それに、「大学は自由だ!」ということを、心から実感し始めています。

大学は自由。この言葉は、もう入学前から何度も何度も聞かされてきました。
でも、その本当の意味は全然わかっていませんでした。
「何が自由なんだろう・・・
たぶん、規則に縛られないってことなんだろうな・・・」
こう漠然と考えていました。

で、実際大学に入ってみて。うん。
まあ規則に縛られないという点でも確かに自由なんだけど
それ以上に!!
周りに流される必要がない!ということが大きいなぁと思ってます。

どういうことでしょうか。
高校時代を思い返してみます。
うちの高校は規則はかなり緩かったので、
そういう意味では「自由」でした。でしたけど

規則には従わなくて良くても、やはり何といいますか、
「流れ」「空気」には従わなければいけなかった。
特にクラスでは。

今は勉強をするべきという空気。
今は勉強はしないべきという空気。
今は行事に全力を注ぐべきという空気。
今はみんなと一緒に行動して親交を深めるべきという空気。
今は打ち上げに参加するべきという空気。

その時々に、クラス全体としての「空気」があって、
これはある種強制力に近いものがあった気がします。

いや、別に、逆らっても良いんですよ。でもそうすると浮きます。
浮いたらかなりツラかったと思います。
高校の時のクラスの存在ってでかかったです。
部活以外の学校活動は、基本的にクラス単位ですしね。うん。

ムリして合わない集団とつるもうとするのも、ある程度ツラいですけど
それを怠って浮いてしまうと、もっとツラい。だから無理をする。
そんなことが時折ありましたね。

でも大学には、いくらでも居場所があります。
別に多数派に従わずマイペースにいたとしても
人に迷惑をかけることさえしなければ
変な目で見られるようなことは少ないなぁと、心から感じています。

入学当初は高校のクセが残ってて、
頑張って大集団に取り残されないように・・・なんて気もあったんですが
今はわりとお気楽に暮らしている感じです。

今はせっかく何でもできる時期なので
ぜひ自分の「やりたいこと」に思う存分時間を使いたい。
どうでもよいことを気にして無理して
「やりたくないこと」に時間を使うことのないようにしたいと
思っています^^

まああと1か月くらいしたらまた考えが変わってるかも、ですけどね~


色々書きたい事はありますが

うん。やっぱり携帯からだと
どーしても書く気がしない。
書きたい事は積もりに積もっております。
パソコンのネット開通は6月3日です。
開通したら、しばらくは溜まってるのを吐き出すため
ほぼ毎日更新ですね(笑)

ゆとり教育と学力低下(2)

やっぱどうしても携帯だとあんま書く気が乗らない(笑)
パソコンっ子だからなあ。まあ6月3日までの辛抱っと。

さて、前回の続き。を書くつもりでしたが
どう続こうとしていたのかちょっと忘れた(笑)

まあとりあえず、学力調査で高い点を取る教育が
必ずしも良い教育とは限らないんだ、という話でした。
「成功した国」の真似をすれば良い発展途上国ならともかく
自分で進む方向を決めなくてはならない先進国の国民は
既にある知識を詰め込まれただけでは不十分だ、と。

このお話はなかなか、くるものがありました。
僕も以前から疑問に思っていたことがあります。
単に、学力調査の順位が下がったというだけの理由で
ゆとり教育を批判するのはなぜなのか、ということです。

だって、カリキュラムを削れば、テストの点は下がるに決まっていますよね。
これを文科省が予測していなかったはずはありません。
でも、テストの点は下がっても、他に得る物があるだろうという
そういう考え方に則ったのがゆとり教育ですよね。

なのに、学力調査の順位が下がったという、当たり前の話を持ち出して
それだけを理由にゆとり教育を叩き、ただ学力を昔に戻せば
それで良いと言わんばかりの主張は、おかしいなあとそう思ってきました。

そうではなく、やはり一番考えるべきことは・・・
ゆとり教育により、本当に「学力低下の代わりに得るもの」
は生まれたのか?ということです・・・

「得るもの」とは具体的には、
今までにないアイデアを思いつく力とか
物事を企画し、運営する力とか
そういう、テストの点には結び付かなくとも
社会で間違いなく重要である能力でしょう。

さて、僕は小学4年からゆとり教育を受けてきました。
総合的な学習の時間も、数え切れないくらい体験しました。
さて、そのような教育を受けたことで
自分や周りの生徒が、果たして
どれほどのものを得られたでしょうか。
それは、学力低下という代償に見合うだけのものだったのか?
無駄はなかったか?改善点はなかったか?
学力低下以外の予期せぬ弊害はあったか?
それはどうして起きてしまったのか?

そういう視点で考えられるようにならねばと思います。
ただ昔に戻せとか、今のままで良い、ではなく
これまでの過程を活かして、先に進んでいけるように・・

ゆとり教育と学力低下

休めないですね~(笑)
新歓目白押しで、疲れました。
大学のノリはあんま自分には合わないですけど
今のところ、何だかんだで楽しいですね。

さて、パソコンのネットが開通しないと
なかなか更新する気がなくなります・・・
が、今日は時間が空いたので、久々に。

さて、これから毎日のように
大学の授業を受けていくわけですが
その中できっと、色んなことを
考えることになると思います。
僕はかなり真面目に授業を受けるつもりですので。

なので、考えたことを書き留めたい!と感じたら
ここにどんどん書いていきたいな、と・・・

さて今日は、将来的に僕の専門になるであろう、教育学のお話。
一番興味がある分野の授業です。

第1回目の授業で特に印象に残ったのは
OECDによる各国の学力調査の、日本の結果について。
近年日本が順位を下げてきていることで同じみのヤツです。
これに関して、一般的には「けしからん。ゆとり教育のせいだ。
早急に対策して、1位を取り返さなければ」
といった論調があると思います。
しかし教授は「決して日本の結果は悪いとは言えないのでは?」と仰られました。

基本的に、ドリル、ドリルの詰め込む教育をすれば
テストの点数は上がります。
こういう教育は、発展途上の国、
一流国に追いつけ追い越せでやっている国にとっては
全体の底上げ、均質化になるので、望ましい教育と言えるのかも。
実際、かつての日本、今の中国などは、そうやってきました。

しかしそういう教育は、悪く言うと、個性を消す教育です。
国民を皆一つの方向に向かわせ、決まりきった理想の人間を作ろうとする
工場のような教育です。

発展途上のうちは良いとして
いざ一流国の仲間入りをし、もはや目標とする国はなくなり
自分たちの力で未来を作り、進んでいかなければならない
そうなった時、果たして、すでに存在している知識を詰め込まれただけの
無個性な国民を作ることが
本当に望ましいのかというと、疑問ではないか?というわけです。

今の日本の子供の学力は、確かに昔よりは下がっています。
しかし決して他の先進国に引けをとっているわけではなく
この結果を問題と捉えるべきかどうかは
簡単に判断できることではないのかもしれません。
(続く)
プロフィール

Lovers Leap

Author:Lovers Leap
"Lover's Continent"というサイトを管理してますラバーズリープです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。